一路伊豆へ 一日目のその2

河津七滝を出た私達は一路下田へ向かいます

1854年の日米和親条約によ函館とともに開港されて

外国船への補給基地港になったところ

私、ペリーが最初に黒船でやって来たところだと勘違いしていました

それは浦賀港でした

日本史が至る所でごちゃごちゃになっている

 

こちらは了仙寺ぼかし4

幕末にペリーと幕府の間で日米下田条約が締結された日本開国の国指定史跡。

開国殿と呼ばれています

幕末の頃このお寺はアメリカ人の応接所になっていたので

アメリカの方々でいっぱいだったんですね

不思議な感じです

こちらはお隣にある長楽寺ぼかし3

1854年に日露和親条約が調印され、日米和親条約の批書交換が行われたお寺

ごくごくふつーのお寺に見えますが、

幕末は激動の時代だったんですね

時計を見ると17時・・・

17時です

お腹空いた  めちゃ空いた

考えてみると朝からわさびソフトとワサビ団子しか食べていない

しかも2人で1個ずつ

急にお腹が空いて腹が立ってきた

しかし、ホテルのある伊東までは1時間以上かかります

そんなの待てません

お寿司食べたい 伊豆のお寿司

でもお店はまだ開いていません

イライライライラしながら稲取海岸の「魚八寿司」へ直行

ガイドブックに出ていました

金目鯛が旬らしくて、金目のお寿司くださーい

まずはお通しのサザエ 水槽から取ってきてくれましたP1000607

お寿司8貫盛り P1000608

瀬戸内海ではあまりお口に入らないネタです

シャリもネタも大きい

姉妹は無言でがっついてしまったのは言うまでもありません

一日一食でしたが満足です

ごちそうさん♪

最後の最後にこれでもかぁの観光スポットP1000613

城ケ崎つり橋にも足を伸ばしてこの日を終えました

もう、足がつりそう・・・

走るときとは別の筋肉を酷使したみたいです